就活はほとんどの人が経験する人生における一大イベントだ。
日本における就活の位置づけは非常に重要なもので、学生にとっては人生をかけた勝負であり、企業にとっては優秀な人材を手に入れるため血眼になる時期である。
そもそも、この就活というイベントは本当に必要なのだろうか。
筆者は当時就職活動に周囲の誰よりも熱心に打ち込んだ経験があり、だからこそ就活における様々なデメリットを垣間見ることができた。
この記事ではそもそも就活が必用なのか、メリットとデメリットの両面から考察する。
目次
就活のメリット

メリットの考察にあたり、今回は就活の主体である学生におけるメリットとデメリットについて触れていく。
学生にとって就活をするメリットは様々だが特に注目すべきは下記だ。
- 企業のルールにさえ従えば選考を受けれる
- 鮮度の高い情報が入手できる
企業のルールにさえ従えば選考を受けれる
就活のルールは経団連によってこれまで厳格に定められてきたが、2018年10月9日に廃止が発表された。
そのためこれからは企業の定めた一定のルールに基づいて学生は就活を行うことになる。
つまりそれは企業の定めたルールに従いさえすれば誰でも均等に選考を受ける権利が与えられるということを意味する。
現代社会における就活という概念が存在しないと仮定すると、恐らく学生は個々人で企業にアプローチをする必要があり選考を受けるまでのハードルが各段に上がることになる。
学生は企業の用意したレールに沿って動けばよいので、ある意味思考停止していても選考に漕ぎつけることはできるのだ。
鮮度の高い情報が入手できる
一方で鮮度の高い情報が得られるというメリットも注目すべきところである。
実際にこのようなサービスも登場している。
普段学生が会社員と話す機会は滅多に無いが、企業が就活というイベントを作ることでそれに必要な「場」を創出することができる。
学生にとってこれはまたとないチャンスで、実際に働いている人を見てネットでは知り得ない鮮度の高い情報を入手することができるのだ。
具体的に鮮度の高い情報とはここでは、発信されて間もなく、かつネットという媒体を通して加工されていない情報を意味する。
会社HPには何回、何十回も修正されて出来上がった会社PRや先輩の声が掲載されているがそれらはもはや脚色の嵐で信用するに値しない。
当時就活生だった筆者は会社HPやパンフレットに記載してあるPRには一切目を通さなかった。
学生は直に社員の話を聞く事で、自分の志望する会社に対して具体的なイメージを持つことができるのだ。
就活のデメリット

学生にとって就活が存在することで発生するデメリットは非常に多い。
実際に筆者が就活をして感じたデメリットは下記の通りだ。
- 同調圧力が働く
- 嘘の情報が飛び交う
- 人的価値を否定されることがある
同調圧力が働く
就活における最大のデメリットは同調圧力が作用し、個性を殺してしまうことだろう。
学生の発想は自由で、柔らかく、希望に満ち溢れている。
アーティストやスポーツ選手、起業家や職人まで様々な人生の選択肢があるにも関わらず、一たび周囲が就活を開始すると簡単に夢を諦めてしまう。
筆者は特にそうだったが、自分で考えて思考し常識を疑うという力が弱かった。
多くの学生は筆者と同じで友達や親が就活をしている、していたから自分もすべきなのだと思い込んでしまうのだ。
あたかも就活があるのは地球に酸素があるのと同じくらい当たり前のことなのだと感じてしまうのだ。
歴史を変えてしまうような成功者の多くは学校教育に早々に見切りをつけ、さらに就職などせずいきなり起業したり、独立するケースが多い。
このような世間的に突飛と言われる行動を容認する文化が醸成されていないことによるデメリットは計り知れない。
嘘の情報が飛び交う
会社が就活生に向けて発信する会社の実態は、嘘で塗り固められていることが多い。
人事担当は、
「うちには残業も休日出勤もありません。育休だって取れるしボーナスもあります」
と口を揃えて言うが、実際に働いている人に話を聞くと現実との乖離が凄まじいことに驚く。
そのため筆者は事実に基づく情報を入手するため、脇が甘い若手社員に話を聞くようにしていた。
しかし会社の人事担当は優秀な人材を確保するには嘘も致し方ないと割り切ってしまう始末だ。
こんな嘘と現実の狭間の犠牲者となった新卒社員が早々に退職してしまうのは仕方のないことだろう。
人的価値を否定されることがある
就活は決して競争では無いが、他の就活生がライバルになることは事実だ。
内定を貰えない学生は、内定を多数貰っている学生を見て自分の「存在価値」を問うこともある。
実際に数十社も選考に落ち、鬱になってしまう学生だっている。
企業が上から目線で「採用」「不採用」と機械的に処理してしまう構造にこそ問題があるが、ここはどうにも変えられないことは事実だ。
日本教育を変えるしかないのか
現代社会において就活が機能し役に立っているのは日本の学生がレールに沿って行動することが得意であるからにほかならない。
学生が一人一人自分の人生に真剣に向き合い、何をして生きていくか思考することができれば就活などそもそも必要ない。
戦後教育の名残で、「言われたことをうまくこなす」ことが美徳とされてきた代償は計り知れない。